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いわたつ

岩田 龍明
大学院修了後、小学校に勤務。その後2年間、放課後子ども教室・学童保育の立ち上げ・運営を経験。その傍らで『先生の学校』のプロボノメンバーとしてライティングやイベント運営サポートに携わり、2022年7月より株式会社スマイルバトンにジョイン。

自分の叶えたいことに気づいた人たちが、
つながれる場所をつくり続けたい。

自分の叶えたいことに
気づいた人たちが、
つながれる場所をつくり続けたい。

岩田 龍明
大学院修了後、小学校に勤務。その後2年間、放課後子ども教室・学童保育の立ち上げ・運営を経験。その傍らで『先生の学校』のプロボノメンバーとしてライティングやイベント運営サポートに携わり、2022年7月より株式会社スマイルバトンにジョイン。

それでも、教育現場に希望はある

スマイルバトンに入るまでの経緯を教えてください。

はじめに大きな流れをお話しすると、教育学部、大学院の教育学研究科に進んだあと、私立の小学校で6年間教員をしていました。その後、JICA海外協力隊に応募して、2020年6月頃からの派遣が決まっていたんですけど、コロナの影響で中止になってしまって。そこから2年間は学童保育の新規事業立ち上げに参加していました。「先生の学校」には2020年11月頃からプロボノとしての関わりからスタートし、業務委託へと形が変わり、2022年7月にスマイルバトンに入社しました。

ありがとうございます。これまでの経歴について一つずつ、お話ししてもらえますか。

大学院生時代に、指導教官が愛知県内を中心に全国各地の学校を訪問し、授業研究会の指導助言をする場にしばしば同席していました。指導教官が話をする中で、現場の先生方が新しい視点や捉え方など、たくさんの気づきに出会う瞬間に何度も立ち合ったことが印象に残っていて。そういう場を作れる人になりたいと、学生時代から「いつかは先生をサポートする仕事に就きたい」と思っていました。

大学・大学院の6年間では、本当にたくさんの学校を見学させてもらいました。多くの学校を見学する中で、単純に教科を教えるだけじゃない授業、例えば人と人が関わり合って対話する力を育てたり、そういう中で子どもたちが知らなかった自分自身の価値や可能性に気づけたり、お互いのことをより深く理解できたりする授業にたくさん出合ってきました。授業見学を重ねるにつれて、自分自身も子どもたちの変容をサポートできるような授業がしたいという思いが高まって、小学校の先生になりました。

教員になった当初は、「6年間の教員生活の先に、先生をサポートする仕事があるはずだ」と思っていました。でもよく考えたら、その機会は思っていたよりも15年、20年と、うんと先なのだと気づきました。それならばそのタイミングを待つよりも、自分の人生を自分で切り開こうとJICA海外協力隊の小学校教員の枠、特に教育委員会に配属されるという案件があり、そこに応募したんです。それが2019年から2020年のことだったこともあり、新型コロナウイルスの影響で派遣が中止され、3カ月ほどの空白期間を経て、学童保育をメイン事業とする会社に入りました。

学童保育の仕事の初日、現場に向かう電車の中で、「先生の学校」がHOPEを創刊するというのを知ったんです。おもしろそう!と思って、夢中でWebサイトを読み漁り、電車の中で会員登録をしていたら、降りるはずの駅を通り過ぎてしまいました(笑)。その後すぐ、先生の学校クリエイターというプロボノ募集があって、「これはやるしかない」と応募して、学童の仕事と並行してはじめたのが、スマイルバトンとの出会いでした。

乗り過ごしてしまうくらい、衝撃的な出会いだったんですね。

そうですね。「先生の学校」がはじまると知ったときも、クリエイターの募集のときも、おもしろそう!って飛び込んだんですけど。実は最初の頃はライターとして関わりながらも、HOPEの記事を読めなかったんです。

読めなかったとはどういうことでしょうか?

HOPEに出てくる先生方の活躍がまぶしく見えて、読めなかったんです。会員になって最初の1年くらいは、この雑誌を手に取った先生方がどんなことを感じているだろう、とずっと思っていました。自分自身の教員経験から、新しい取り組みやちょっと変わったことをするとき、必ずしも同僚から好意的な反応だけを受け取るわけじゃないことを知っていたので、ちょっと苦しい気持ちになったりもしていました。でもきちんと読めば、雑誌の中ではそういった大変さも等身大で語られていることに、ある日気づいたんです。

そのような気持ちを抱えつつも、「先生の学校」への関わりを深くしていったのは、どうしてですか?

教育現場に絶対希望はあると信じていましたし、これからも希望を生み出す人は増え続けるはず、そっちに道はあると思っていたからだと思います。根拠はなかったんですけど、自分が信じている道に進んでみようと思いました。

教員時代を思い返しても、新しい取り組みに賛成する人もいれば、反対する人も当然いて。この取り組みに共感してくれる人が身近にいなかったとしても、どこかには絶対いると確信していました。今頑張っている人の現場に仲間がいなかったとしても、「先生の学校」に来たら誰かいる。そんな会員の皆さんの声を聞くようになったことも大きいと感じています。

その後、運営にも本格的に関わるようになって、会員の方にイベントやコミュニティ運営を通して接することが増えていって。「今回は何人が来てくれた」というような感覚ではなくて、「この人とこの人が会いに来てくれた」といったように、顔が見えていつでも話せる距離にいる方が増えてきました。僕たちの発信から、勇気をもらったり喜んでくれたりしている実際の反応が見えて、先生という仕事が生み出している希望をしっかりと世の中に届けていきたいという気持ちを、後押ししてもらった感覚がありました。

そのときに働いていた学童保育の仕事ももちろんやりがいがあったのですが、立ち上げから小学生と保護者の方と関わる中で、「子どもも困っているけれど、それ以上に大人が困っている」と直感的に感じ、大人たちの転機を作るスマイルバトンに入社することを決意しました。

挑戦をして、一つ抜けた先に見えてきたこと

入社後、いわたつにとって転機はありましたか。

株式会社という業態そのものが、僕にとって初めての場所でした。それまでも授業や新しい学童保育の施設といった「新しいもの」を作っていたけれど、あくまでも一定の決まりがある中でのことだったので、自分がすでに身につけた能力やスキルを発揮すれば、何かしらの成果を出すことができました。でもスマイルバトンでの仕事は、「本当に自分にできるのだろうか?」とドキドキする、その挑戦に怖さすら感じるくらい、新しいことに飛び込んでいくことが多いです。そういった意味では、新しい企画が全て僕にとって「転機」と言えると思います。

スマイルバトンは、「絶対に教育の世界に希望がある」と信じているコンテンツしか出しません。この認識は特に代表のなおさんと擦り合わせたことはないけれど、主に企画を担当する僕たち2人にとってはそこが暗黙の了解であり、絶対的なものでもあります。それは、僕がこれまで信じてきたことや届けたいとずっと願っていたことと、ものすごく一致していました。そう気づいたときに、「自分の今までの体験が全部活かせるな」と、これもまたとても直感的なのですが、思いました。

挑戦することの怖さを乗り越えたエピソードがあれば教えてください。

一つ自分の中で怖かったのが、雑誌「HOPE」の編集を担当することになったことです。もともとプロボノとして活動をしている期間から、ライターとしてときどき記事を書いてはいたのですが、編集にはライターとはまた違った視点が必要です。記事を書くだけに止まらず、毎号のテーマという柱に合わせて、最終的に記事の内容を束ねていくのが編集の仕事です。

当時はなおさん、しばさんと僕しか社員がいなかったので、当然編集をやる必要もあるに決まっていたのに、「自分には編集なんてできない」と怖くなって、最初は全く手が進みませんでした。「自分にできるかな」という苦しさの中で、どんどん締め切りが迫ってきて、限界だ…と思いながら原稿の編集をしていたときにふと、この記事を、この雑誌を受け取る人の立場に立てるようになった瞬間がありました。

こんな風に自分が「作り手」となる経験の中には、上手くいかない体験も含めて、たくさんの挑戦がありました。伝えたいメッセージと、そのメッセージを記事という形にする力がパチッと結びついたときに、「編集ってめちゃくちゃおもしろい!」と心から思えるようになり、編集の仕事が大好きになりました。

それと同時に、自分にももっとおもしろいことができるかもしれない、という自信にもつながりました。

2023年1月から、YouTubeの番組も始まりましたよね。

社内で「YouTubeを始める」という話が出たときは、どうやって編集するのかも知らなかったし、動画を作ってくれる人すら周りにいなかったんですよ。

正直、なおさんの「動画をスタートする」という言葉を、2カ月くらい疑ってました。でも、本当に撮影がスタートしちゃったんですよね。しかも僕は、リポーターという動画に出演する役で…!人前に出ることは好きなのですが、自分の発した言葉がずっと動画に残り続けることを考えると、ここでもやっぱり怖さが込み上げてきました。

でも何度か撮影を重ねる中で、「リポーターという仕事、すごく好きかも」と思うようになりました。そう感じられるようになったきっかけの一つに、動画が公開されるたびに、「動画を見たよ!」という感想が僕にダイレクトに届くことがますます増えたんです。中には、職員室の先生に回覧しました、という方もいらっしゃいました(笑)

また撮影をさせてくださった方からも、「学校の飾らないありのままの姿を発信してくれて、とてもうれしい」という声もたくさんいただいて。

こんなに多くの人に波及するんだって、このメディアが届けたいことを背負って伝えていけるおもしろさを味わいました。人前に立つ怖さという、ある意味でのリスクもあった挑戦でしたが、その分返ってくるものも大きかったですね。

新しい挑戦であり、作品に対する心構えや向き合い方が、一段引き上げられるような体験だったんですね。動画制作の際に大事にしていることは何ですか?

やっぱり「動画で取材された学校=すごい」みたいな見え方になるのは悩んでいるところではあるんですけど。僕たちとしては、飾らない、その現場のありのままの姿を作品にして世の中に送り出すこと、それぞれの現場の先生なりのアイデア、工夫、着眼点も、悩んでいるところも、等しく大切に伝えたいと思って作っています。

誰かの転機になる作品づくりを

スマイルバトンの皆さんは共通して、自分たちのアウトプットを「作品」と呼んでいますよね。ここにスマイルバトンが象徴されているように感じました。

そう言われると、確かにスマイルバトンの「イズム」だなと思います。

僕自身がこれまでたくさん、なおさんから作品づくりにおいて大事な、「作品を受け取った人、初めて見る人の視点で考える」ということについて教えてもらってきました。そして今はそれを僕が伝える立場にもなっています。僕たちが世に送り出す一つひとつの作品自体が、スマイルバトンが伝えたい大事なメッセージそのものでもあります。

そしてそのメッセージが届く先は、会員の方々。会員の方、という呼び方をしていますが、僕にとってはお客さんというより仲間、友達のような尊い存在です。だからこそ「自分が作りました」というやっつけ的な仕事ではなくて、受け取った人がうれしくなって、思わず何かアクションを起こしたくなるか。そこまで思いを巡らすことなのかなと思います。

HOPEも動画も、完成したところがゴールじゃなくて、皆さんの手元に届いてから作品が歩き始めると思っています。例えばおもしろいエピソードとして、雑誌「HOPE」を車のダッシュボードに置いたり、電車の中でわざわざ表紙を見せながら読んだり、職員室の机にポンって置いておくとか、そうやって仲間探しの道具に使われていたり、それで実際つながった人たちもいるんですよ。

それによって自然と会話が生まれていく。自分の手を離れて作品が世に放たれたときが、実は作品が本当の意味で動き出すタイミングなんですよね。今では、そのことをすごくおもしろいと思うし、だからこそ届いた後の動きも、丁寧に見るようにしています。

「作品」という言葉の理解が深まるお話です。

ある先生から「先生の学校の雑誌や動画には、特別な先生が出ているという訳ではなくて、むしろ職員室の隣にいそうな先生が出ているよね」と言われたことがあって。僕たちがやっていることは、もう本当にその通りなんです。この作品に登場いただいている方々は、もちろん素晴らしい方々ばかりなのですが、「特別な人」というわけではありません。そうではなく、「隣のあの人」が勇気を振り絞って踏み出した小さな一歩についてだったり、身近なあの人が思わずとってしまったアクションだったり、そういったものを雑誌や動画にまとめ続けています。

だから、作品自体がメッセージだし、そのメッセージを受け取った人が次に起こしたアクションが、また誰かの希望になっていく、そんなサイクルを生み出すものになっていたらいいなって、そう思って作っています。

スマイルバトンの魅力を改めて考えてみると、どんなところでしょうか?

どこまでも挑戦できる場があること、ですかね。自分の挑戦したいことを提案させてもらう機会も多いし、それを形にする機会も作ってもらえるし、作ってあげることもできる。太陽のような温かいメッセージを届けることにこだわるからこそ、各メンバーが自律して働き、大事なメッセージをちゃんと届けきるために考え抜こう、という厳しさもある会社でもあります。

仕事をしていると、つい誰かに正解を求めたくなるときがあります。でも仕事において、誰か正しい答えを持っているわけがありません。むしろどうしたらより良くなるか、常に自分から提案していかなきゃいけない場所なわけで。僕も往々にしてそういうスタンスが出てしまうときがあるんですが「いや、誰も答えなんて持ってないから、今考えようよ。ここから自分たちで決めていこうよ」と言い聞かせるようにしています。そういうところが僕の中での自律して働くということでもあると思います。

そうやってお互いが自律しつつも共創することで、想像もつかなかったような作品や提案が生まれることがあります。そうして生まれた作品が、受け取った人にとって「これが欲しかったんだよね!」と思ってもらえるものになっていくことは、働いていてとても魅力的ですね。

関わってくださる会員の方と顔が見える関係でつながり、その方たちの声を俯瞰して捉えているからこそ、皆さんの共通する思いや課題感が見えてきて、求められる作品づくりへとつながっているのですね。

そうですね。先生たちと出会ってやりとりを重ねる中でこぼれ落ちてきた言葉を拾ったり、教育現場の渦中にいると手が届かない事柄にスポットライトをあてることが、先生たちの「これが欲しかった!」につながっている感覚はあります。

いわたつは、これからどんなことに挑戦したいですか?

すごく身近なことで言えば、先生の学校やスマイルバトンに関わってくれている人たちが、自分のミッションや叶えたいことに、自分自身で気づけるような場・環境を作りたいです。「いい転機をつくる」ことに大事なのは、自分以外の人・もの・ことから刺激や影響を受けたり、自分自身を振り返ったりすることだと思っています。僕は、そんな転機との出合いの場を作ったり、転機に気づくお手伝いをしたりしたいですね。

もうちょっと先の話で言うと、教育だけに止まらず、将来のことや自分のやりたいことを自信を持って話せる未来。夢を叶える人を増やしたいというより、夢を叶えたい人たちが集まってつながって、一緒に夢を叶え合うような場を作って、皆が夢を叶えている姿を一緒に応援して喜び続けるということが、僕のやりたいことです。

ここまで話を聞いて、いわたつは人と人が関わり合ったり、内省したりすることを通して、自分の良さを自分自身で見つけていけるきっかけを作ることに関心があるんだと思いました。

そうですね。今思うと、小学校教員をしていたときも、そんな実践をしたくて日々研究を重ねていました。

当時の僕は、学校の中では少数派で、少し孤独すら感じていました。あのときに「先生の学校」があったら、もしかして何か変わっていたかもしれない。そんなことすら思います。
もし学校現場で孤独を感じている人がいたら、先生の学校を通して、世の中の教育現場にはたくさんの小さな希望があることを知っていただきたいです。

出会ったときの状況によっては、希望を希望だと思えないタイミングもあるかもしれません。そんな中でも、ふとしたときに視野が広がったり、視点が変わったりして、希望を認識できるようになるかもしれません。希望を見つけたと思ったら、ぜひ自らキャッチしにいっていただきたいです。

そして、そんな希望とつながりたい人たちに対して、僕たちはいつでもオープンでありたいです。