それでも、教育現場に希望はある
スマイルバトンに入るまでの経緯を教えてください。
はじめに大きな流れをお話しすると、教育学部、大学院の教育学研究科に進んだあと、私立の小学校で6年間教員をしていました。その後、JICA海外協力隊に応募して、2020年6月頃からの派遣が決まっていたんですけど、コロナの影響で中止になってしまって。そこから2年間は学童保育の新規事業立ち上げに参加していました。「先生の学校」には2020年11月頃からプロボノとしての関わりからスタートし、業務委託へと形が変わり、2022年7月にスマイルバトンに入社しました。
ありがとうございます。これまでの経歴について一つずつ、お話ししてもらえますか。
大学院生時代に、指導教官が愛知県内を中心に全国各地の学校を訪問し、授業研究会の指導助言をする場にしばしば同席していました。指導教官が話をする中で、現場の先生方が新しい視点や捉え方など、たくさんの気づきに出会う瞬間に何度も立ち合ったことが印象に残っていて。そういう場を作れる人になりたいと、学生時代から「いつかは先生をサポートする仕事に就きたい」と思っていました。
大学・大学院の6年間では、本当にたくさんの学校を見学させてもらいました。多くの学校を見学する中で、単純に教科を教えるだけじゃない授業、例えば人と人が関わり合って対話する力を育てたり、そういう中で子どもたちが知らなかった自分自身の価値や可能性に気づけたり、お互いのことをより深く理解できたりする授業にたくさん出合ってきました。授業見学を重ねるにつれて、自分自身も子どもたちの変容をサポートできるような授業がしたいという思いが高まって、小学校の先生になりました。
教員になった当初は、「6年間の教員生活の先に、先生をサポートする仕事があるはずだ」と思っていました。でもよく考えたら、その機会は思っていたよりも15年、20年と、うんと先なのだと気づきました。それならばそのタイミングを待つよりも、自分の人生を自分で切り開こうとJICA海外協力隊の小学校教員の枠、特に教育委員会に配属されるという案件があり、そこに応募したんです。それが2019年から2020年のことだったこともあり、新型コロナウイルスの影響で派遣が中止され、3カ月ほどの空白期間を経て、学童保育をメイン事業とする会社に入りました。
学童保育の仕事の初日、現場に向かう電車の中で、「先生の学校」がHOPEを創刊するというのを知ったんです。おもしろそう!と思って、夢中でWebサイトを読み漁り、電車の中で会員登録をしていたら、降りるはずの駅を通り過ぎてしまいました(笑)。その後すぐ、先生の学校クリエイターというプロボノ募集があって、「これはやるしかない」と応募して、学童の仕事と並行してはじめたのが、スマイルバトンとの出会いでした。
乗り過ごしてしまうくらい、衝撃的な出会いだったんですね。
そうですね。「先生の学校」がはじまると知ったときも、クリエイターの募集のときも、おもしろそう!って飛び込んだんですけど。実は最初の頃はライターとして関わりながらも、HOPEの記事を読めなかったんです。
読めなかったとはどういうことでしょうか?
HOPEに出てくる先生方の活躍がまぶしく見えて、読めなかったんです。会員になって最初の1年くらいは、この雑誌を手に取った先生方がどんなことを感じているだろう、とずっと思っていました。自分自身の教員経験から、新しい取り組みやちょっと変わったことをするとき、必ずしも同僚から好意的な反応だけを受け取るわけじゃないことを知っていたので、ちょっと苦しい気持ちになったりもしていました。でもきちんと読めば、雑誌の中ではそういった大変さも等身大で語られていることに、ある日気づいたんです。
そのような気持ちを抱えつつも、「先生の学校」への関わりを深くしていったのは、どうしてですか?
教育現場に絶対希望はあると信じていましたし、これからも希望を生み出す人は増え続けるはず、そっちに道はあると思っていたからだと思います。根拠はなかったんですけど、自分が信じている道に進んでみようと思いました。
教員時代を思い返しても、新しい取り組みに賛成する人もいれば、反対する人も当然いて。この取り組みに共感してくれる人が身近にいなかったとしても、どこかには絶対いると確信していました。今頑張っている人の現場に仲間がいなかったとしても、「先生の学校」に来たら誰かいる。そんな会員の皆さんの声を聞くようになったことも大きいと感じています。
その後、運営にも本格的に関わるようになって、会員の方にイベントやコミュニティ運営を通して接することが増えていって。「今回は何人が来てくれた」というような感覚ではなくて、「この人とこの人が会いに来てくれた」といったように、顔が見えていつでも話せる距離にいる方が増えてきました。僕たちの発信から、勇気をもらったり喜んでくれたりしている実際の反応が見えて、先生という仕事が生み出している希望をしっかりと世の中に届けていきたいという気持ちを、後押ししてもらった感覚がありました。
そのときに働いていた学童保育の仕事ももちろんやりがいがあったのですが、立ち上げから小学生と保護者の方と関わる中で、「子どもも困っているけれど、それ以上に大人が困っている」と直感的に感じ、大人たちの転機を作るスマイルバトンに入社することを決意しました。