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Nao
Mihara

なおさん

三原 菜央
大学卒業後、8年間専門学校・大学の教員をしながら学校広報に携わる。その後ベンチャー企業2社を経て、株式会社リクルートライフスタイルにて広報PRや企画職に従事。2016年9月にライフワークとして始めた「先生の学校」の活動を事業化する形で、2020年3月にスマイルバトンを創業。

いつからでも人は変われる。
その人が持つ意思も、
カタチにする力も信じてる

いつからでも人は変われる。
その人が持つ意思も、
カタチにする力も信じてる

三原 菜央
大学卒業後、8年間専門学校・大学の教員をしながら学校広報に携わる。その後ベンチャー企業2社を経て、株式会社リクルートライフスタイルにて広報PRや企画職に従事。2016年9月にライフワークとして始めた「先生の学校」の活動を事業化する形で、2020年3月にスマイルバトンを創業。

進路選択での苦い体験と、成長と

なおさんがスマイルバトンを立ち上げるまでのお話を、あらためて聞かせてもらえますか。

実は私、大学選びに少し苦い思い出があるんです。学生時代まで遡るんですけど、小学校から高校までバスケットボール漬けの日々を過ごしてきて、いざ進路選択の場になったとき、やりたいことが出てこなかった。

食べることが好きだからなんとなく食の仕事かなと考えて、教師をしている両親から教員免許を取ることをすすめられたこともあって、栄養士の資格も教員免許も取得できる選択肢の中から大学を選びました。でも入学してすぐに、これは私が学びたいこととは違うと思ったんです。母親に大学を辞めたいと話すと、「一つのことをやり遂げられない人間は何をやっても駄目だと思う」と言われ、その通りだと思いました。

大学を続けながらできることを探して、その頃はファッションへの興味が強くなっていたので、ファッションビジネスを学びに夜間の専門学校に通い始めました。

教職課程も取っていたので、大学の授業は夜までフルに詰まっていて、その上で専門学校の授業や課題があったので大変だったけど、専門学校での学びはすごく楽しかったですね。同級生には昼間は働きながら自分でお金を出して通う人もいて、目をキラキラさせて学んでいた。大学の同級生たちとはまた違う、エネルギーや学ぶ姿勢を見ながら、専門学校っておもしろい場所だなと思いました。

その後、今も大好きな天海祐希さんを通して演劇の世界にも惹かれ、とある大学の劇団に所属して、舞台衣装を作ったり制作(広報)をやったり、最終的には舞台に立ったりもしました。

興味の伸びる方へ活動を広げた学生生活だったんですね。

両親にはすくすくと育ててもらったことを本当に感謝しています。ただ今振り返ると、高校生までは親が敷いてくれたレールにしっかり乗っていたし、そのレールの上で提示される選択肢は決して多くなかったと思うんです。

大学時代は、夜間の専門学校で出会う人たちから受ける刺激や、演劇の活動を通して、自分の「やりたい」がどんどん生まれてきました。人生のゴールデン期間を聞かれたら「19〜21歳のころ」と言えるくらい、はじめて自分の意思にそって生きている感覚があったし、毎年自分の成長を実感していました。
就職活動の時期になって、あらためて何がしたいかを考えたとき、学生時代に経験したことをフルに活かせる仕事がいいなと思いました。1社目に就職した三幸学園はいろんな領域の専門学校を運営していて、ここなら自分が学んできたことを全て活かすことができると思い、入社しました。
でも実は、就職活動中にはもう一つの思いがあったんです。

どんなことですか。

天海祐希さんが書かれた本を読んだことをきっかけに、大学時代から読書にはまっていって、たくさんの本と出合いました。本を通して自分の世界が広がっていく体験から、こんな風に新しい世界を見せてくれる本を作りたいという思いが湧いて、就職活動のときは先生の仕事か、本を作る仕事がしたいと思っていたんです。
大学の夏休み期間を利用して東京へ行き、出版社のアルバイトとしてファッション雑誌の制作に携わりました。このときの経験も、忘れられない思い出です。ただ同時に、出版業界に就職するには私には届かない、「学歴」とかそういった壁があることにも気がつきました。結果的に、就職活動では出版社から内定をもらうことはできませんでした。

そんな経験もあったんですね。

三幸学園は、自分の経験してきたことが全て活かせる場所だと思えたし、面接を通して知る働く人たちの雰囲気も自分に合っているように感じて入社しました。8年間本当にいい環境で働けて、人の成長に関われる先生の仕事を天職だと思って過ごしていました。
体育祭とか発表会など行事にすごく力を入れる学校で、私自身、学生のころ以上に全力で打ち込んで、青春を取り戻した感じがありました。というのも、大学のことは入学早々ここは合わないと自分の中でどこか線を引いた部分があって、その姿勢によって大事な「今」を自分で駄目にしていたんだと、最後の最後、大学卒業のときに気づいたんです。
社会人になってからは、どんな今も楽しもうという気持ちで、授業にも学校行事にも本気で向き合っていました。そういう本気は生徒にも伝わって、生徒との時間も充実していきました。

先生として生き生きと働くなおさんの姿が目に浮かびます。

保育士を養成する専門学校で先生をしていたときのことです。当時、保母さんから保育士という呼び名に変わり、保育士の仕事が男性にも選択肢として広がってきた頃だったので、クラスの1/4くらいが男子生徒でした。彼らとの関係性も深くなっていたので、進路相談でも正直な思いを話してくれました。「保育士になりたいと思って入学したけど、将来的にずっとやる仕事じゃないかもしれない」「子どもは好きだけど、よくよく職業を見つめてみたらやりたいことじゃなかった」、そんな壁にぶつかっている彼らの姿に、大学を選んだときの自分がふと重なって見えたんです。

「保育士じゃなくて一般企業に行きたいから、先生のおすすめの企業を教えてほしい」と言われたとき、何も答えられず頭が真っ白になりました。それまでは何でも知っていてどんなことも力になるよって顔をしていたけど、社会のことを何も知らないことに気づいてしまったんです。

それがあって、社会に出ると決めました。先生だった私が社会という場所でも生き生きと働くことができたら、それが誰かの希望にもなるかもしれないという思いで、ベンチャー企業2社を経て、リクルートライフスタイルという会社で広報と企画の仕事に従事しました。
社会に出てみて、私が先生として学校で教えてきたことはもちろん大事なことだけど、社会とは少しズレがあることも知りました。先生の持つコミュニケーションや伝える力は本当に役に立ちます。でも社会では自分で判断して動く、常に選択を迫られる状況がありました。特にリクルートでは「あなたはどうしたいの?」と、常に個人の意思を問われる環境で、仕事にも自分のやりたいことを重ねていいという体験ができたことはとても大きかったです。

リクルートには複業をしている人たちがたくさんいて、会社員をしながら飲食店経営していたり、コンサルタントをしていたり、鞄などのものづくりをしていたり、いろんな働き方をしている仲間からたくさんの刺激を受けました。私も自分の意思を形にしてみたいと思い、2016年9月から「先生の学校」を始め、こつこつと4年間ぐらい続けて、2020年に満を持してボーダレスの仕組みを使って起業しました。私の中ではじっくりと、階段を上るように挑戦を重ね、機が熟して起業したという感じです。

「今」の充実がいい未来をつくるから

2016年に「先生の学校」をはじめて、2020年に起業。時を重ねて、スマイルバトンの活動に変化はありましたか。

大事にしたい根本のところは変わってないです。

先生として働いていた三幸学園には「生徒は先生を映す鏡」という言葉があって、本当にその通りだと思っていました。子どもたちを幸せにするために、直接子どもに手を差し伸べることももちろん大切で、その領域にもたくさんのプレイヤーがいますよね。私自身は大人が生き生きする状況を作っていくことが、子どもも含めた全ての人のウェルビーイングを実現していくことにつながると思って、この事業をしています。

先生たちを取り巻く環境は今とても厳しくて、人手も不足しています。先生たちそれぞれの個性も、先生という職業を選んだ純粋な思いも本当に素晴らしいと思っているから、子どものことを考える先生たちが辛い思いをしている状況を見ると、私も苦しくなります。

先生たちが自分の可能性や個性を解放して、子どもたちの可能性や個性も同じように信じていけたら、それだけで絶対にいい社会になる。先生をエンパワーメントしていくことが、結果的に子どもたちを幸せにすると信じています。

今、先生のコミュニティはたくさんあって、どのコミュニティもそれぞれに素晴らしい。その中で、「先生の学校」の特徴が何かと聞かれたら、先生たちを元気にしたい、応援したいという思いのもとスタートしているコミュニティであることだと答えます。

先生たちを元気にしたい、応援したいという思いが、先生の学校の原動力なんですね。

私たちが使う言葉や姿勢、取材する人全てが、先生の学校という「環境」を作るから、雑誌、動画、全てにおいて踏襲している世界観は、先生たちが元気になるサードプレイスでありたいということです。

先生たちの忙しい毎日の中に、ほんの少しでもいいから「先生の学校」との接点を持っていてもらいたい。あるときは「こんな学校の、こんな先生の考え方があるんだ」という多様な価値観に触れたり。イベントや講座で学んだことを学校に持ち帰ってやってみたり。なかなか参加できないけど触れておきたいみたいな感じでもいいし、逆にガッツリ一緒に何かやりたいというのも、どんな使い方でも本当に良くて。

それでもやっぱり、ここに行くといい気づきであったり、希望を感じるものに出合える場所でありたいと思っています。いい転機を作る触媒でありたいし、いい転機を作る人をこれからもっと作っていきたいなとも思っています。

人は自分が満たされたとき、誰かのためになりたいと思うものだから。自分自身がより良く変容した人たちが、利己を卒業して、利他のために動き出してく。誰かに貢献するとか、誰かの支えになるとか、 誰かのいい転機を作るとか、そういう循環をスマイルバトンでもどんどん作っていきたいなと思っています。

その先のスマイルバトンがどうなっていくのか楽しみですね。

ありがとうございます。ただ、最近すごく思うのは、「未来」も大事だけど、やっぱり「今」がものすごく大事じゃないかってことなんです。今が充実したら未来は絶対大丈夫だって思うから、最近は、「今も未来も期待できる、今をつくろう」っていう言葉を社内のスローガンにしています。

いい言葉ですね。

もちろん、数年先にこうなっていようとか、これは絶対やろうねということはあるし、そこから逆算して今何をするか決めたりもします。ただそれ以上に、今あるご縁や繋がりを大切にして、その先に生まれてくるものがスマイルバトンの新しい役割なのかなと思っています。だから今の充足度を上げることを事業としてどんどん作りたいです。

今を全力で進んだ先に、次にのぼる階段が見えてくる、そんなイメージでしょうか。

そうですね。私は、がんばったら届くかなぁっていう背伸びの挑戦が好きなんです。ジャンプ級の大きな挑戦ができるのは限られた人かもしれないけど、背伸びの挑戦なら多くの人が一歩を踏み出せると思うんです。

背伸びの挑戦を階段状に積み重ねた先に、それまでは届かなかったびっくりするようなところに辿り着けると思っているので、背伸びの挑戦をする人が多い方が私はうれしいです。何千人、何万人っていう大人が、半径5メートルの課題解決に取り組んだら、社会は絶対に変わる。そんな挑戦を後押しする機会を作っていきたいし、私たちもそんな背伸びの挑戦を続けていこうと思ってます。

いい転機で人は自ら変わっていく

なおさんが今考えていることも、ぜひお聞きしたいです。

最近も私は何のために生きてるんだろうと考えていて、出てきたのは、人が何歳になっても生きたいように生きる、そのことの支えになりたいということでした。また、その機会を作るためにスマイルバトンや「先生の学校」をやっているんだと再確認しました。

学生時代、出版社という場所に行きたいという思いがあって、でも叶わなかった。個人の努力不足と言われればそうかもしれないですが、日本の社会にはまだ、その人自身を見るというより、学校名やその人の肩書などの周辺情報によって道を断たれてしまう現実がある。でも、そういう社会で、今私は自分で雑誌を作って届けています。

学生の頃の私は10年以上先にそんな未来があるなんて思ってなかったけど、自分がやりたいと思うことはいろんな形で実現できるという、一つの例だと思うんです。だから、その人が何歳であっても、諦めずに自分の意思をどこまでも大事にして、それを形にしていくことの支えになりたい。人によって意思が芽生える時期も違うから、もう40歳だから、60歳だから、80歳だから、女性だからとか、そういうことではなく、どんな人も一律に、自分の思いを叶えられるような選択肢をつくる、その支えになりたいんですね。

それは、過去の自分への応援でもあるし、今の自分への応援でもあるし、私が支えきれなかった専門学校生の卒業生たちへの応援でもあります

スマイルバトンの役割は、その人が持つ意思が開くのを支えることで、主体はあくまでも相手にあるんですね。

そうです。主体は先生たちで、私たちは支える人、応援する人です。松岡修造さんのように、「大丈夫です。皆さんの可能性を私は信じています。絶対できます」って先生たちを全力で応援する気持ちで、メディアコミュニティを運営しています。

私、クリスマスキャロルというお話が大好きなんです。スクルージというおじさんが、過去、現在、未来を見て、本当に自分が大切にしたいことに目を向けて変わっていく話で、このお話が教えてくれているように、人はいつでもどんな状況にあっても、その人が望めば、望む今や未来に変えていけると、心から思っています。

もちろん簡単に変われるわけじゃないけど、コップに水がたまっていくように色んな気づきが積み重なって、ある日コップからあふれた瞬間に、人は変わるんじゃないかと思っています。その人のコップにゆっくりとたまっていく、いい転機をつくりたい。それがミッションである「いい転機をつくろう」という言葉に込めた思いです。

いい転機になるような、たくさんのきっかけを仕掛けていくんですね

スマイルバトンでは、固定観念やものの見方、考え方のことを「まなざし」と呼んでいて、先日アメリカの学校へ取材に行ったとき、そこに勤めている先生が、固定観念を外すことを「自分の中のクモの巣を取る作業」と表現されていて、ああいいなって思ったんです。

張ってしまったクモの巣を取り去るように、ものの見方、考え方を毎回アップデートしていくことが、その人自身のいい転機を生むスピードを上げていくんだと思っています。

新しいものの見方に出合うことが、いい転機につながっていくということですか。

そうですね。「あなたのまなざしにはクモの巣が張っているから外しなよ」なんて言われて、外せるものではありませんよね。そんなこと言われたら、きっとすごく嫌な気持ちになって、私たちの声を聞いてもらえなくなってしまうと思います。

北風と太陽じゃないですが、いろんな考え方に触れて、自分の声も大事に受け止められて、ここでは自分の心をゆるしてもいいかなと思える環境で、まなざしは少しずつ緩んでいくものだと思うのです。そして緩んだ余白に、そういう考え方もあるんだという気づきや、どうしてそんなふうに思うんだろうといった問いが生まれて、そこから深まっていく。その繰り返しで、その人が見る世界は広がっていくと思うんです。

まなざしが緩み、深まり、広がっていくことで、いい転機は自然と起こる。その力を信じています。私たちにはクモの巣がすぐ張ってしまうから、いつでも気づけるように、まずはまなざしを緩められる環境があること。環境が人をつくるので、良い環境をつくることが、私たちスマイルバトンの今の役割だと思っています。